私が旅行するときのミッションのひとつに、お墓参りがあります。いわゆる墓マイラー。
まだまだかけだしマイラーですが、そのきっかけについて記録しておきます。
古い話です。
私のパリ
2012年の夏、家族旅行でパリに行くことになりました。
家族は初パリだったので、ルーブル美術館とか、ベルサイユ宮殿とか、モンサンミッシェル(これは私も初めて)といったプランを練りに練る。
そしてふと、「私のパリも盛り込まなきゃ……でも今どうなってんだろ?」と。
というのも、前回パリに行ったのは学生時代の研修旅行。
洋服の勉強をしていた私は、18歳の夏と20歳の冬にパリに行ったのですが、そのときの1番の思い出は、オートクチュールコレクション見学でもなく、自分の作品を発表したショー(しかも会場はエッフェル塔!)でもなく、18区のバルベスだったのです。
当時、パリの移民によるポップ音楽が流行っていて、音楽雑誌やファッション雑誌などでバルベスがよく紹介されていました。
バルベスのランドマーク的なチープなデパートTATI *1のピンクのチェック柄のショッパーがパリコレのランウェイに登場したりとか。
私はこの頃にこの流行に乗って以降、現在にいたるまで、日英米の音楽をほとんど聴かなくなってしまったのですが、なかでも特に Les Negresses Vertes が大好きでした。*2
(↓音が出ます)
それで研修でのパリ滞在中、バルベスや、バンド結成の地とされるサン=トゥアン*3にタイムリーに行けたことが、強烈な思い出になっていました。
この、日本のド田舎で聞いていた音楽のリアルな背景を歩くという体験をしたことで、その後の自分の人生が少し違うものになったと、いまも考えています。
エルノはどこに
で、2012年の家族旅行。
ガイドブックによると、パリにはあちこちに著名人のお墓があって、墓地が観光名所になっているとのこと。
これを読んで、「エルノのお墓はパリにあるんだろうか?」という考えが。
エルノとはLes Negresses Vertesのボーカリストで、バンド全盛期に亡くなりました。
でも赤の他人、それも異国のお墓なんて、どうやって調べるんだろ?
まずは、有名どころの墓地のリストを調べてみたけど、これらは上流階級の人が眠るところぽい?
ウェブ翻訳を駆使して検索しているうちに、当時の死亡記事を見つけたけど、お墓の情報はなし。エルノのルーツはイタリアだそう。てことはお墓はイタリアという可能性もあるってこと?*4 移民のシステムって?
この過程で初めて「墓マイラー」というジャンルがあることを知る。
英国人がやってるLes Negresses Vertesのファンサイトを発見し、管理者にメールしてみると*5、こちらのサイトでの検索結果を教えてくれて、あっさりと場所が判明。
たしか2012年当時は画像や墓碑銘などの詳細情報はまだ無かったのですが、墓地内のエリア番号の記載がありました。
パンタン墓地 Cimetière parisien de Pantin
パリ中心部からメトロ7号線で、墓地に向かいます。
最寄駅はAubervilliers-Pantin Quatre Cheminsで、列車が北東方面に進むうちに乗客はどんどん減っていき、見た目アジア人ばかりになって、わりと馴染んでる私。
駅に着いて地上に上がると、中国語の看板ばかりの街並みでした。
これはちょっと意外で、上述のバルベスをはじめパリ北東部はアフリカ系移民が多いと思い込んでいました。チャイナタウンは左岸の13区らしいし……
近年は人の流れが違っているのかも? 歩行者や店番の人などの雰囲気も、若いニューカマーぽいし。ともかく、繁華街の高級デパートやハイブランドのお店で列をなしている中国人旅行者とはちょっと世界が違うね、、
墓地入り口に到着、向かいに花屋さんがあったので入る。日本だと切花が一般的ですが、ここは鉢植えが主流みたいだったので、ひと鉢購入。
入り口のインフォメーションにて、エリア番号とエルノの氏名を見せて、「この人を探しているのですが」と聞いてみると、「そのエリアはあのへんだけど…自分で探すしかないわ」と言われる。
このときこの係員と、エルノについて*6なにか話したような気もするのだけど、もはや思い出せない。ただ「Je cherche...(〜を探しているのですが)」というフレーズだけをいまも覚えてる。
墓地には私以外は誰もいなくて、閑散としている。
その中を端から順に地道に見ていくつもりが……あっという間に発見。
なぜなら、墓石が整然と並ぶ中で、特にたくさんの花が供えられて目立っているお墓があって、それがエルノだったのです。
お墓の傍に座って、エルノの遺影と対面して、墓石に触れると、そこに彼の肉体を感じました。*7
私は、生きて歌うエルノをステージ下から一度見ただけだけど、死んでしまうとこんなに近づけることに、とても心を揺さぶられました。
私はこのとき初めて、異国の、かつ自分とは違う宗教のお墓と対面しました。*8
お墓には、エルノと共にここに眠っている親族の氏名と生没年も書いてあって、ここから何代前にフランスに来たのかを推測してみたり。エルノは「移民の音楽」で身を立てたけど*9、彼の一族はフランスにしっかりと根ざしていました。
遠い昔の推しの、こんな超個人情報に触れていいの?みたいな戸惑いすらあったけど、もしかしてこれが墓マイラーの醍醐味なのかな?
墓石に埋め込まれた遺影も、私が知っている「ネグレスヴェルトのエルノ」とは少し印象が違っていて、これが家族やごく親しい人から見た姿だったのかな?と思いました。*10
その遺影には大量のキスマークがあって、多くのファンがここを訪れていることが窺い知れました。
そこで私は、ウエットティッシュでそれらをすっかり拭き取り、口紅を塗り直して、新しいキス。おそらく私がいちばん遠方から来てますからね!
帰国後、英国の情報提供者に、エルノに会えたことをご報告。
死者の日
その翌2013年の秋、私はミラノにいて、11月1日のTutti i Santi(諸聖人の日)の休みを利用して2泊3日でパリに行くことにしました。*11
目的は、11月2日のGiorno dei morti (死者の日)に、再びエルノのお墓に行くことです。
「死者の日」というとメキシコのフェスティバルが有名ですが、もとはカトリックの行事のようです。よく日本のお盆に喩えられる、家族でお墓参りに行く日。
前回エルノのお墓に行ったときは、墓地全体に私ひとりしかいなかったけど、死者の日に行けば、他に誰か来るのかな?と思って。
あのときペール=ラシェーズ墓地のジム•モリソンのお墓にも行ったのですが、世界中からファンが押し寄せていて、ドアーズの歌を弾き語ってる人もいたりして、ああいう感じを求めていたのです。*12
しかし行ってみると、やはりそこには私しかいませんでした。
墓地にはたくさんのお参りの人がいて、エルノのお墓も前回以上にお花が溢れていたけど。
よく見ると、私が付けたキスマークが、しっかり残っていました。さすがシャネル。
帰るとき、墓地前のバス停の路線図を見ていると、バスを待っていたおばちゃんに、なぜか普通に中国語で話しかけられる。
お「お墓参り?」
私「はい」
お「誰の?」
私「うーん…友達」
お「あら…若くして亡くなったの?」
私「ええ、まぁ」
なんとなく説明するのが面倒になって、「友達」と言ってしまう。「歌手」って言ってもハ?って感じだよね……
おばちゃんは15年前に移住したそうで、お兄さんのお参りとのこと。*13
同じバスに乗って数駅で、おばちゃんは降りて行った。私はこのまま乗ってパリ中心部に帰るつもりだったけど、やっぱりその次の停留所で降りる。
パンタンに隣接するここ19区も移民や労働者の街で、エルノも19区のアパートで亡くなったそう。
エルノが生まれ育った街を、少し歩いてから帰ろう。世界情勢によって人の流れが変わっても、やっぱりここが私のパリ。*14
*1:2020年に惜しまれながら廃業
*2:というか、いまも当たり前に日々聴いてる
*3:クリニャンクール蚤の市で有名
*4:イタリアにおける「移民」の経験 によると、イタリアは1860年代から1970年代までは移民の送り出し国で、1980年代以降は受け入れ国に転換。初期は単身男性の出稼ぎが主流だったが、1920年代以降は南北米や仏への定住が進んだ
*5:日本にファンがいたことに、めちゃくちゃ驚かれる。そういえば当時、ネグレスベルトはまず英国で人気に火がついて、英国経由で日本に輸入されたことで、日本でのプロモーションや来日公演につながったのだと思います
*6:あるいは、私が抱えていた花についてだったかも?
*7:パリのカトリック教徒の火葬率は(コロナ前で)約33%とのことなので、文字通りエルノの肉体がここにあったと思われる
*8:実はこれよりかなり前に、台湾のテレサテンのお墓に行ったことがありました。ここもけっこうな観光名所
*9:ネグレスヴェルトの前にやってたパンクバンドも、フランスでは一定の評価を得ています
*10:Francis CAMPIGLIAさんという写真家が撮影したもの
*11:いまはなきThelloにて、木曜日に仕事を終えた後 23:03 Milano Lambrate 発、翌朝Gare de Lyon着、帰りはその逆で月曜日の早朝にミラノ着でそのまま出勤
*12:しかしもし、エルノの親族とばったり会ったりしたら、ちょっとどうしたらいいかわからなかったかも……
*13:1989年に中国からフランスに移住した人の話を、これまでたくさん聞きました。この兄妹の事情は聞かなかったけど……
*14:ネグレスヴェルトはいまもときどき突発的に活動しています。次にもしパリに行くことがあったら、お墓だけでなく生きた彼らを見ようと思います